《西川林業の歴史》

西川林業の起源は明らかではありませんが、元享4年(1324)に、秩父神社の造営材が我那(吾野)と那栗(名栗)に割り当てられているところから、世間から注目される用材がこの地にあったことがわかります。県史によれば、天和2年(1682)に江戸の大火のとき復興用材を新河岸より江戸に送った史実や、寛文年間(1661〜1704)にこの地方への幕府の造林政策が強化され、スギの造林が実行されたことが文献の上で確認されていますが、一部の篤林家が実施していたに過ぎず、天然林を伐採利用することが多かったようです。林業地としての本格的な発展は、質・量ともに明治中期以降といえます。特に日清、日露の戦争を契機として、木材の需要が増加したので、急に造林熱が高まり、競って植林が行われました。さらに関東大震災の際には、当地方に木材の需要が殺到し、西川材の名声が一段と高まると共に造林も一層盛んになり、今日の西川林業地が形成されました。

(本文参考資料/ 埼玉県川越農林振興センター林業部)


《西川材の流通》

西川林業地には、飯能市と日高市に5箇所の原木市場があり、関東一円から木材が集まる最も大きな木材集積地です。平成16年度末現在、年間取扱量は約5万㎡で、主に地元製材業者に供給しています。入間川沿いでは、小径木を利用した杭丸太生産業も盛んです。